リライト田中の活動ブログ
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【GW休業8日目】私の人生ストーリー
幼少期から学生時代
1978年、神奈川県茅ヶ崎市で生まれました。兄と妹に挟まれた真ん中っ子として育ち、家族での外出は少なく、服はいつも兄のお下がりでした。小学生の頃はサッカーに夢中で、スライディングのしすぎで足首に傷が残っています。中学ではバスケットボールに転向し、高校はスポーツ推薦で私立へ進学。厳しい練習と顧問の指導で両足を疲労骨折するというある意味貴重な経験も。苦笑
大学時代には交通事故で左足を複雑骨折し、1ヶ月の寝たきり生活を経験。「もう走れないかもしれない」という絶望の中、母が倒れる知らせも重なり、大学を辞めたくなる気持ちと葛藤。しかし、父の「せっかく入学した大学なんだから卒業しなさい」という言葉に支えられ、キツいリハビリを経て再び歩け、学校に通えるようになりました。兄と二人で大学近くのアパートで自活し、授業と部活動、それに生活費を稼ぐための深夜アルバイトに明け暮れる日々を送りました。
社会人としてのスタート
「地図に残る仕事」に惹かれ、東急リバブルに入社。厳しい研修を経て、誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで働きました。ポスティングで朝刊配達前の街を走り回り、数字は240%超えの時も。社長賞(業績功労賞)を2度受賞しましたが、ストレスで体調不良が続く日々。都心部との不動産価格からの仲介手数料格差に気づき、「自分の力を試したい」と強く思い、横浜駅西口のアスリートホームへ転職しました。
アスリートホームでは、新規開拓目的で全く知らない不動産会社を含め週100社訪問を何週間も続け、良くも悪くも中小企業ゆえの“人対人”の温度を実感。買取現地調査、リフォーム打合せ、金融機関折衝に携わりながら、ブログ発信と「毎月1件契約」の鉄則を13年途切れず貫いてきました。朝8時から深夜22時まで働き、刺激に満ちた日々を楽しみました。
起業と新たな挑戦
入社1年後、約束のボーナスが一転ゼロに。ブランドではなく「自分の力」で稼ぐ覚悟が決め、起業を決意。会社名は、不動産(real estate)を楽しむ(delight)を組み合わせた「relight(リライト)」。お客様の大切な不動産に、もう一度“光”を灯し、人生を明るく照らす存在でありたいという思いを込めています。
独立初の相談は、“売れない”那須の温泉付き別荘地。200万円から始めた販売価格は、最終的に5万円で成約。世の中には本当に売れない不動産があるのかと初めて知り、大きな衝撃を受けました。売主・買主各2,500円の仲介手数料より、いただいた巨峰の方が高かったあの日の衝撃も鮮烈に憶えている。
それ以来、「どこの不動産会社も対応してくれない売れない不動産」を所有されている不動産所有者を救済するために全国を旅する日々。熊よけの鈴を付けながら1人山奥に入った山形の山林、テレビでも話題になった東伊豆の空き家(1円)の現地販売会の開催、テレビ東京『ガイアの夜明け』にも取り上げられる奇跡。全国から寄せられる売れない不動産をいかに売るかを模索しながら「相場のないところに相場をつくる」を体現。おかげで現在47都道府県のうち40都道府県で売買実績を積ませてもらうことが出来た。
地域への貢献とこれから
横浜市役所・神奈川区役所の不動産無料相談会の相談員として地域に寄り添い、さらに神奈川区子安台では子ども食堂を運営し、心に灯をともしています。
1円売買や贈与契約で困った不動産を子どもに残さなくても良いと涙を流して喜ぶ売主さん、「大切に使います」と笑顔で誓う買主さん。お金ではなく、人の想いが交差する瞬間に出会えるから、この道を選んで本当に良かった。
地方の売れない不動産は、成約してもお金にならないからどこの不動産会社も対応していません。では、それらの不動産が売れず、手放せず困っている人はそのままでいいのでしょうか。いやいや、不動産業界にいるんだからどこの不動産会社も動かないのであれば、私が動いて不動産でお困りの方々を救済する、たとえそれが報酬なしのボランティアとなったとしても。実際に私は今までそうして来たし、これからも変わらない。
ここまで辛い時期もありました。だからこそ、その経験からより良いものへと前向きにチャレンジできる。これからも不動産で困っている人々の最後の駆け込み寺であり続けたい。