あいさんの時々ブログ

いろんな出来事がありました

2022/01/12
 私もこの年(73歳)になりますと、これまでいろんな出来事がありました。
1965年ー当時戦後最大といわれた「山陽特殊鋼の倒産」がありました。
     偶然友人宅にいたときこの会社に勤めていた父親に電話が掛かってきて驚かされました。
     後に山崎豊子がこれをモデルに小説「華麗なる一族」を書き、映画化もされました。
1968年ー東芝府中社員の冬のボーナスが強奪された、いわゆる「3億円事件」がありました。
     その後もドラマや小説の題材になりましたが、当時三多摩地区の学生の免許所持者は全員
     事情を聴かれ、70年安保を前に学生運動のじゅうたん捜査ともウワサされました。
1970年ー三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乗り込みクーデターを企てましたが、失敗し自決しました。
     ニュースを聞いて市ヶ谷駅まで行きましたが、駅から出ることも出来ませんでした。
     新聞号外に生首が転がっている写真が掲載され、衝撃を覚えた記憶が残っています。
1972年ー板橋区に高島平団地という高層住宅群が出来て、いきなり3万人都市が出現しました。
     巨大都市に誰も知人がいない生活に大きな疎外感を感じて、毎月のように飛び降り自殺
     がありました。
     話題になり外から来て飛び降りるようになり、公団(現UR)では通路側に6千万円の
     費用をかけフェンスを設置することになりました。
1978年ー大阪勤務の頃、京都のベラミというクラブで日本一の暴力団山口組の田岡組長が撃たれた
     事件が起き、大変な騒動になりました。
     大阪のキタやミナミの飲み屋街ではドンパチ事件が立て続けに起きて、仕事帰りの一杯の
     時間が騒動が沈静化するまで持てませんでした。
     仕事でも家賃滞納した方がその筋らしい方だと聞くと緊張させられました。
1985年ー日航ジャンボ機が墜落して多くの方がなくなられました。坂本久さんや父の飲み友達でも
     あった阪神タイガース球団社長も亡くなられました。
     後日なぜか事故で生存された方の航空券のコピーが落ちないお守りだと出回り、釈然と
     しない気持ちにさせられました。
1995年ー阪神淡路大震災がありました。宝塚の友人の家は200mほど中心からずれていて偶然
     にも大事には至りませんでしたが、新長田駅前は手がつけられない惨状となりました。
     URでは延5,000名の社員を派遣して、プロジェクトX並みに復旧に協力をしました。
1998年ーX-JAPANのHIDEさんが亡くなり、築地本願寺で葬儀が行われました。
     葬儀会場周辺の道路はファンで埋め尽くされて、ファンが花を求めるために駅の近くの
     花屋さんはわずか一日で3年分もの売上げになったそうです。
2001年ー愛子様が誕生されました。ちょうどその日その時間に長女の結婚式がありまして、式の
     最中司会者の方から報告がありました。
     毎年この日が来てテレビで放送されると、長女の何回目の結婚記念日かを知らされます。
2011年ー東日本大震災があり、未曽有の災害となりました。
     その2週間前に長男の結婚式、1週間前には母の葬式と半月の間に立て続けにありました。
     東日本大震災の現地を見に行きましたが、新築の家が中がすっぽりと空っぽになって
     いて声も出ませんでした。また海沿い道路ではガードレールが内側(普通は外側)方向
     にねじれていて津波の恐ろしい力を感じさせられました。
    
    最後に自分自身が死にかけたことがありました。
     私が3歳の頃、父が関門トンネル工事に従事していた関係で、下関市に住んでいました。
     海の近くの船のドック付近で子ども同士で遊んでいて、何かの拍子にドックの海の中へ。
     あわてて親に知らせに行ったらしいのですが、ちょうどその時に神戸製鋼の部長さんが
     車で通りかかり、そのまま会社の診療所へ運んでいただいたそうです。
     お医者さんが強心剤の注射を3本注射するとようやく蘇生したそうです。
     
    あれから70年、綾小路きみまろさんのセリフではありませんが、皆々様のおかげです。